里見奨学会(以下、本会)は日本パーカライジング株式会社の創業者の一人である故里見雄二氏により昭和31年(1956年)に設立され、学業に秀でているにも拘らず経済的理由から修学が困難な学生への奨学金給付を通じ有為な人材の育成に貢献しています。
奨学金は創立当時より寄附者の『奨学生は奨学金の返還に代え学業で得た成果を社会に還元して欲しい』との意志に基づき、給付型奨学金としています。
令和8年(2026年)に設立70周年をむかえることを記念し創立者の精神に立ち返り、新たに「70周年記念『志向』奨学金」を令和6年4月に創設いたします。この奨学金は指定校制とし、奨学金の主旨を理解しふさわしい学生を選考(推薦)して頂ける大学を指定校として採用しますので、ご希望の大学は公募要項に従いご応募ください。期限は令和6年1月19日金曜日必着とします。

応募期限 令和6年1月19日(金)必着【終了しました】

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里見雄二と『志向』

里見奨学会の設立

 さて、雄二は常に「人間は信用が大切だ。そのためには常に真面目であることだ」と言う。彼は「誠」の文字が好きと言う。
 そして、人間の本性を強張し、人の社会に於ける活躍は、その人の本来的な「志向性」に基づくことを重要視する。
 「苦しいから、楽になるように」と言う動物的本能は、「努力」によってこそ、成就するのだと言う。
 雄二は、幼い頃からの労苦、困難な学生時代を思い返し、その報いとして成功の体験から、青年の持つ「志向性の助長」すなわち「教育」を重視する。
 これを具体化したのが「里見奨学会」の設立であり、「学びたい青年に、その望みを実現させるべく、支援する為」の奨学制度を設けたのである。
 昭和三十一年四月、雄二は父源三郎の第十回忌を紀念して、自分の持ち株六万株を投じて「財団法人里見奨学会」を設立その理事長に就任した。
 その寄附行為 第二章の、目的及び事業の条に
 第三条
 この法人は、優秀なる学生生徒に対して奨学資金を交付し、又は褒賞するとともに、これら奨学育英事業を援助し、もって有為の人材の育成と教育の振興に寄与することを目的とする。
と宣言し、第四条には事業内容として
一、奨学資金の給与貸与
二、小・中・高等諸学校に於ける成績優秀な卒業者および篤行のある生徒に対する褒賞
三、学術研究団体等に対する助成
四、その目的を達成する為の必要な事業
などを掲げる。
 この里見奨学会奨学金受給者は、設立以来四〇〇余名に及び、この受給者の会は、源三郎の法名に因んで「尋源会」と名称される。(令和三年現在、奨学生数約2600名)

里見雄二のモットー

老人はげみの里見会設立

 雄二はこうして後代に有望な青年の育成に、奨学制度の実施によって貢献すると同時に、すでに社会のために、多大な役割を果たし終えた老人を慰労するために、昭和五十年四月、自らの投資によって、財団法人「老人はげみの里見会」を設立した。

雄二の敬祖精神

 雄二は常々「私の家は、新田一族だ」と言う。そしてその血筋を誇る。
 しかし、それは血筋の「名門」を自慢するのではない。遠々と続く歴史の重さと、雄二の今日あるは、先祖の努力の賜物だとする敬祖の念に基ずくものに外ならない。
 従って雄二は、故旧を忘れず、故郷に対して一入懐古の念を強くする。
 竹田市城北町の碧雲寺及び東京練馬区に所在する菩提寺広徳寺などに里見氏の墓碑を建立したり、関東各地の里見氏の顕頌碑を建立したりする事への散財を惜しまないが、これは決して自己宣伝や財力誇示ではなく、あくまで敬虔な「祖先崇拝」と「敬祖」の念から始まっている。
 昭和五十二年四月二十四日、竹田市碧雲寺に於いて、尋源会員一同による里見雄二の米寿を記念する寿像の除幕式が菩提寺の碧雲寺に於て盛大に挙行された。
 寿像は、朝倉文夫の高弟、郷土出身の溝口寛氏によって鋳造されたが、その銘文には、次の如く述べられる。

寿像銘文

夫れ人の世にある能く財を成す者はあり、而て善くこれを散ずる者に至りては蓋し極めて稀なり。翁さきには奨学の会を設立して育英の業に力を傾け、近くは老人はげみの会を組織して老人の福祉に心を砕く。翁事に処して明快、曽て正鵠は失はず、人に接して篤実誠心を人の腹中に措く、故旧遺れず故山を懐ふの親情実に濃やかに、後進の誘掖至らざるなし。竹田市名誉市民の称号を贈らる誠に故あるなり。今茲翁米寿の賀を迫へらるるに当り、我等その恩徳に浴する物四百余名相諮りて、翁の寿像を建設し以て鴻恩の万一に報いんとす。あわれ希くばその清福倍倍輝やきを添へて、その寿康南山とともに弥弥高からんことを。
 茲に謹みて翁の事蹟の一端を勒し、千歳酬恩の記年とす。

昭和五十二年丁己歳春四月穀日 尋源会一同

里見雄二の人柄を如実に物語る記銘である。

『豊後里見氏の歩み』より抜粋

寿像と碑文